長谷山塾長講演「日本の近代化と慶應義塾」

午後の授業中案内されて、授業終了後、まったく予定していなかったのですが、まあ、これも何かの縁だと思い、行ってみました。
西校舎のホールは入学式を行った場所ですけど、外からだと、こんなスペースがあるだなんてまったく分からない、不思議な構造です。
いっけんシンメトリーなんだけど、そうじゃないってことですね。
この手のホールって多くの大学では独立した棟で、普通の校舎にこれだけのホールがあるのが面白い造りだなと。決して広くない敷地から来るのか?だとしても、大学って何かと象徴的な講堂をつくりたがるものですよね?
しかし、慶応にはそれがない。う~ん不思議だ。
これは計画してこうなったのか、パッチワーク的な結果なのか?いつか知りたいところです。


さて、
4限目終了後の人の流れからすると、ガラガラかと思いきや、864人収容可能の会場の約半数(つまり、430人くらい)席が埋まっていたでしょうか。
III期受講者は約1,700名(昨年実績)だとして、午前・午後と両方受けた人、午前のみで帰ってしまった人、午後のみ受講した人、と3パタンあり、それぞれ3分の1だとすると、1,700×2/3÷430≒2.64です。
ていうことは、かなりの人が受講してたってことにもなりますよね。


それはさておき、
「日本の近代化と慶應義塾」て言えちゃうんだから凄いですよ。
こういうこと言えちゃう大学って国内にいくつあるんでしょうか?
確かにね、東大医学部だって作ったの慶応みたいなもんですもんね。(^-^)・・・て言ったら怒られるかな。


正直、私は入るとき、福澤先生に興味があるわけではなかったので、未だに入学時にいただいた「福翁自伝」を読んでません。つまり、いけない子です。
でも、私みたいなやつほど、心酔しちゃったりするのかもしれませんね。(笑)
とにかくいっけん、まったく異なる展開方法の授業でも、事あるごとに「福澤先生」が出てくるわけですが、コンセプトってこういうことなのね、と。
長谷山先生のお話は温和なお人柄で、(悪い意味ではなく)淡々としたものでしたが、言い方を変えれば、福澤先生というのはまったく誇張が不要てことでもあり、どうして慶応では先生は福澤先生ひとりなのか、というのがよく分かるお話でした。

自分がやりたいのってこれだな、という気も。
創造的破壊、破棄的創造・・・。
残念ながら、若い頃、こうした気骨と出会うことが出来なかったのですが、慶應への接触度が増えれば増えるほど、すごいところに来ちゃったな・・・て思わけです。

「皆さんもぜひ慶応人生を楽しんでください」
慶応は一生付き合うもので、慶応の通信には、他大学の通信とは異なり、そのための方法が用意されている、との趣旨で終わりました。






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